オートノミートレーニングとは
心身相関に関する疫学研究の問題点
がん、心血管病(心疾患・脳卒中)、膠原病や認知症など、慢性の疾患を発症すること、あるいは発症した後に様々な経過をたどることについて、心理的なストレスが関与しているのではないか、と多くの人が感じています。実際に、細胞や分子レベルでの基礎的な研究、あるいは動物実験ではこの考え(心身相関)を支持するような知見が日々発見されています。しかし、一口にストレスといっても、その性質は様々であり、ヒトの心身においてどのようなストレスが、どのような疾患に、どのように影響するのか、さらに、ストレスに対してどう対処すれば身体への否定的な影響を減らし、好ましい影響を与えることができるのか、といった問いへの明確な答えは、現代人である我々はまだ手にしていません。それは、これらの問いに答えるために必要な、人の集団を対象とした観察研究や介入研究(疫学研究)が絶対的に不足しているためです。
また、医療従事者や研究者の中には、心身相関そのものに対して否定的な考えを持つ人々も存在します。その理由の一つに、得られている疫学データが必ずしも心身相関を支持する結果となっていないことが挙げられます。しかし、そのような否定的結果を報告した疫学研究の多くは次のような問題をかかえています。
a. 疾患と関連づけられた心理社会的因子が的を射たものとはいえない
一般的な「ストレス」や「性格」・「パーソナリティ」など、特定の疾患と関連づける明確な理論的基盤に乏しい心理社会的因子について疫学研究を行った場合、その疾患と心理社会的因子との関連について否定的な結果が得られることはむしろ当然といえます。特定の疾患と特異的に関連する心理社会的因子を見いだした前向き疫学研究はこれまで限られているかもしれませんが、その多くは臨床の場での注意深い観察によって構築された明確な理論を基に計画されたものです。
b. 心理社会的因子の評価方法・手続きに問題があり、意図した因子が測定されていない
説明もなくアンケートを配布して回答させるなど、被験者に質問の意味を十分に理解してもらうこと、あるいは質問に対して率直に、正直に回答してもらうことへの配慮を欠いていることが例として挙げられます。
c. 心理社会的因子のみに着目し、遺伝的要因や生活習慣など、他の身体的因子との相互作用を考慮していない
単独では弱い効果しか観察されないにも拘わらず、特定の遺伝的因子、臓器負因、生活習慣などの身体的因子の存在下では顕著に疾患の発症や経過に影響するようなストレス関連要因があります。また、複数の心理社会的因子が強く相互作用することもあります。そのような要因は、他の身体的・心理的因子との相互作用を考慮に入れないと見過ごされてしまう可能性があります。
d. 介入法として用いた心理療法の効果が不十分であるか、効果が疾病予防をもたらす性質のものでない
例えば、(i) 良くないとされる生活習慣を改善するプログラムを実施した場合に、その習慣の背景にある潜在的な欲求への配慮を欠くために行動変容が不十分となること、あるいはその習慣自体は変容されたとしても、他の良くない習慣に置き換わってしまう、あるいは (ii) 介入によって認知や行動の変容が起こったとしても、必ずしもそれが幸福感を高めることにならない、などといった結果、肝心の疾病予防につながらないことが挙げられます。
ハイデルベルク研究とオートノミートレーニング
グロッサルト=マティチェク氏は、上記のような問題点を念頭において、独自の理論に基づいて次のような仮説を立て、疫学研究によってその検証を試みてきました(「これまでの研究結果」をご参照ください)。
a. がんや心血管病の発症や進行に特異的に関わる行動特性(ストレス応答パターン)が存在し、遺伝や生活習慣などの身体的危険因子と(しばしば相乗的に)相互作用する。
b. その特性の鍵となるのは、”対象依存性”(個人の幸福感が特定の対象―人物や条件―によって慢性的に大きく左右されること)と、その対立概念である”自律性”あるいは”セルフレギュレーション”(個人の欲求を自律的に安定して満たし得ること)である。
c. 対象依存性を弱め自律性を高めるような介入によって、効果的に疾患リスクを減らすことができる。
研究の多くは1970年代以降、30,000人以上のドイツ・ハイデルベルク市域住民において展開されてきたコホート研究であることから、”ハイデルベルク前向き・介入研究”(以下、”ハイデルベルク研究”と略)と総称されています。そして、行動特性への介入方法として開発された心理療法が”オートノミートレーニング”です。
オートノミートレーニングは、個人にとって重要な問題、その背後にある大切な欲求、その充足を妨げる要因を同定し、その解決策としての新たな認知や行動のあり方を本人自身が見出す過程を支援し、自信と活力を活性化しようと試みます。その結果、個人のある領域で高まった自律性はストレスを低減し、幸福感を高め、自律性と幸福感との間で好循環が形成されて長期に維持される一方、この現象がその人の他の様々な領域へと汎化してゆくと考えられます。そして生体のホメオスタシス(恒常性)維持機能が強化され、健康的な行動の強化と相まって効果的な疾病予防が可能となると考えられます(下図、ただし“オートノミー”=自律性)。
オートノミートレーニングは、このような問題の分析と解決策や目標の設定を、原則として短期間に達成することを目指すものです(次節を参照)。本療法を実践するにあたっては、その原理原則とともに、これらのことを可能にする様々な技法を修得すること、あるいは既に修得している技法を本療法の原理原則に沿って用いることが必要となります。
オートノミートレーニングは慢性疾患の予防のみならず、既にがんや心臓病を持つ患者の治療としても有効である(生命予後を改善する)ことが分かってきています。さらに、本療法が応用可能な領域は、疾病予防や医療分野に留まりません。労働者の創造性や協調性を高めて企業の生産性を高めること、失業者の再就職率の向上、スポーツ選手(チーム)の成績向上など、今日の多様な社会的課題への有力な解決手段となり得ることも分かってきています(詳細は解説書をご参照ください)。
しかし一方で、これらはいずれもハイデルベルク研究の結果であり、文化や社会的背景を異にする日本においても妥当であるかどうかは、独自に検証を進める必要があると考えられます。
個人療法セッションの手順
オートノミートレーニングには様々な治療形態がありますが、最も基本的なものはクライアントとトレーナーとが1対1で行う「個人療法」です。1回のセッションは通常1~2時間で、典型的には1~3回で終了します。一連のセッションは図のような5つのステップで進められます。
最初にトレーナーから治療の目的と概要が説明されます(ステップ1)。続くステップ2ではクライアントの問題は何か、幸福感への到達を阻む要因は何かをテーマとした対話が行われます。ステップ3ではトレーナーがその内容を分析し、問題とその成因に関する仮説をクライアントに呈示します。対話の中で仮説を変更・修正し、クライアントが納得するような分析を目指します。
次のステップ4では、問題解決のための新たな行動を探求します。クライアント自らとり得る解決策を考え、また必要に応じてトレーナーからも提案がなされます。両者の対話を経て、クライアントが納得する解決策「符合点」を目指します。最後にクライアント自身で対話を振り返り、符合点を再度確認して終了となります。
関連サイト
Ronald Grossarth-Maticek(ロナルト・グロッサルト=マティチェク)
オートノミートレーニング開発者であるグロッサルト=マティチェク氏のサイト(ドイツ語)。氏の経歴、研究やオートノミートレーニングの概要、著書、関連の研究者、研究所などが紹介されている。
KREBS-CHANCEN(クレブス-シャンセン)
がんの診断を受けた人々に対して、より長く、より幸せに生きるためのオートノミートレーニングの概要を紹介し、治療の機会や有用な情報を提供するために設けられたサイト(ドイツ語)。